ドイツのエネルギー転換はどう評価すべきか?

はじまりはこの記事。

え?失敗だったの?

電気代上がってるから失敗、という主張と読んだ。

gendai.ismedia.jp

 

 

同時に別の記事も参照。

電気代上がってるけど政策として失敗はしてない、と読んだ。社会全体を見るとバランスを取りながら上手に進めている、と言っている。

www.newsdigest.de

 

これら記事を読んで思ったこと。

いち消費者として、電気代が高騰されると困る、という実感はある。ドイツのように電気代が2倍になったら、それは非常に辛い。生活も厳しい。破綻する人も出てくるだろう。電気代2倍に対して同意した覚えもないし、いきなりそうなると言われても、嫌だ。セーフティーネット設けますとか言われても、それで助かるのかよ?と思う。

ドイツ人たちは、それでもいい、脱原子力・脱化石燃料が実現できるなら負担が増えても良い、と判断してメルケル首相を選んでる。そしていまだ継続してる。以前の倍の金額の電気代を支払いながら。

日本人はそんなこと思ってない。脱原子力・脱化石燃料なんて希望してない。そんなことを望むのは一部の意識高い系の人たちがファッションでやってるんでしょ?と思ってる。だから、ドイツみたいに脱原発とか脱化石燃料とか言われたら、当然拒否反応を起こす。思想とかじゃなく、お金の問題。

 

ドイツ失敗してんじゃん派は、電気代高騰してアウト、って思ってる。俺もそう思う。

ドイツ失敗してない派は、国民の理解の元すすめてて政策も破綻してないから失敗してない、って言う。ドイツ人がそれでいいならそれでいいと思う。でも、それを日本に持ち込まれても、電気代高騰するのはイヤーって勢力がいるから厳しい。

 

思想を高らかに掲げても、ベースの生活が厳しくなるなら耳に入らない。

 

いやいや、今のうちに再エネ比率上げとかないと後がキツいよー、と言われても、じゃあどうなるの?原発、なんでダメなの?それってホントなの?を丁寧に対応できないとだーれも聞く耳持たない。いや、それを丁寧に対応したところで、なんにもならないだろう。

 

ドイツみたく、自国が好調で自国通貨があれば高騰してるはずなのにユーロだから低く抑えられてて輸出好調!みたいな環境をゲットしてる国と同じことができるとは思えない。

 

電気代が上がるの嫌だー

電気代が上がるのハンターイ

 

たとえそれが短絡的な思考だ、愚かだと言われても、足元の生活維持が最優先のニンゲンにとっては、仕方ないほどまっとうな感覚だと思ってる。

 

日本はドイツ追従なのか。

日本はドイツ+αの別ルートを辿るのか。

 

どっち?!

 

突然本の感想を書き始めたわたし

ブログにまとめて書くからもう聞くのやめてー

それが始まり。

ジャンルを問わず本を読むのが好きなので、あれこれちょこちょこ読むんですが、その中でも仕事に必要と思って読んだ本たちがけっこうたまってきてました。自分の本棚に何を読んだら良いですか?と同僚先輩後輩に聞かれることが多く、都度答えるのも面倒になってきたのでここらでまとめちゃおう。という動機です。

住宅業界に10年以上居ます。お客さんと話したり家の設計をしたり。気づけば10年を超えました。5年前には断熱とか気密とか、まともに議論されることもなかったのに、気づけば断熱気密言い始める周りの人。情報も溢れ始めてきたし、一条工務店はその分野、というよりも「断熱」一本でキャラ立てて上手くいってるし、大手ハウスメーカーはZEHZEH言うし、そろそろ読み貯めた本の内容や自分のためこんだ知識をまとめる機会かなとおもいまして。

いろいろな本を読み進めると、互いに矛盾していたり、情報が古かったり、なにか流派みたいな、考え方の差異があったり、じゃあなにが正しいのか正しくないのか、それを判断したくてまた他の本に手を出したり。

それらを小出しに綴っていきます。

もしなにか変なこと言ってたり勘違ってたり思い込んでたりしたら、教えてほしいです。真っ向から議論できるならしたい。よく分からない分野だったら教えて欲しい。

 

そんな感じです。

「エアコンのいらない家」の読み方

 

エアコンのいらない家

著者:山田 浩幸(やまだ ひろゆき

出版社:X-Knowledge (2011年)

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エアコン1台って言ったりエアコンいらないって言ったり、我々消費者はどうすればよいのかわからなくなるタイトル。結局エアコンは要らないのか?!「エアコンのいらない家」と「エアコン1台で心地よい家をつくる方法」が書店で横に並んでる日にはもう。。

装丁は好き。白地に黒文字というシンプルな構成は書店でも目立つ。コレ系の装丁はちらほら目にするが、個人的には好感を持っている。それが、とりあえず手に取ろうと思った理由。ジャケ買いみたいなものか。 この本のタイトルを見て頭に浮かぶのは、「暑い夏をエアコン無しでどうするのよ?!」という疑問。無理ではないか?エアコンがあっても辛い猛暑に、エアコン無しでどう立ち向かっていくのか気になりつつ読み進めた。  

そもそも「エアコンて不快」という感覚がなぜ生まれるか、に踏み込むべき。部屋が乾燥する?なわけない。夏に乾燥させるなんて無理無理。冷たい風が当たるのが嫌?それはエアコンじゃなくて家が悪い。きっちり断熱していれば、強い風を吹き出す必要がないので気流感はかなり無くせる。室内に侵入してくる熱が大きければ、除熱する熱量も大きくなる = エアコンが強風運転、という構図なわけで。

肝心のエアコン無しの方策は「通風」「日射遮蔽」ということらしい。「通風」は、外の風を取り込み、室内も空気温度差による浮力を生かして風を起こし、熱気を排出するという思想と理解した。「日射遮蔽」は、太陽の光をしっかりと遮り、夏季の最大の熱源、太陽光を室内に入れないため、最適な軒の出を確保しよう、ということだった。

「日射遮蔽」は同意する。しかし、「通風」は疑問が残る。 窓の配置や間取りの工夫による重力換気の最大化によって、室内の熱を換気しろという。排熱することについては異論はないが、しかし同時に、夏を少々舐めているのでは無いかとも思う。著書内では、外気温が何度か明示されている部分は非常に少なく、30℃程度、と記述を何度か確認できるが、夏の日本は最大気温が35℃を超える。何が嬉しくて焼け付いた外気を取り込むのだろうか。夜は涼しいという意見もあるかもしれない。しかし、28℃で相対湿度70%を超える外気は、どうやっても涼しくはない。絶対湿度は17g/kgを超え、あきらかにジメジメして寝苦しい。外気は室内空気に比べればマシ、程度だが、その「マシ」であるという意識が、通風へ意識を向かわせるのだろうか。

著書内で、断熱に付いての記述が薄いことも気になる。家の断熱性能において、窓が重要だと説いている点は間違っていないが、屋根壁天井の断熱を疎かにしていいという意味ではない。しかし、著書内では充填断熱と外張り断熱の是非に言及するのみにとどまり、どの程度の性能が必要かという記述は確認できない。

夏の暑さに対抗するためには、日射遮蔽と断熱・気密で外からの日射熱を遮り、室内にたまった熱は通風で排熱した後に、機械的な操作で冷やすことが大切。機械的な操作を否定した本著では室温を外気以下に下げる方法が無いため、どんなに頑張っても外気温+2℃の室温。暑い。ヒトも家電も熱を出すから。

エアコンの使用は必須だけれど、エアコンの稼働時間を極力短くするための工夫集としてなら読む若干価値あり。断熱の考え方が古いのと、風通せば快適と言いたげな思想は同意できない。内容はアレだけど書籍としては読みやすくて良いと思った。

 

 

「エアコン1台で心地よい家をつくる方法」の読み方

エアコン1台で心地よい家をつくる方法

著者:西郷 徹也(さいごう てつや)

出版社:X-Knowledge(2013年)

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「え?!ホントかよ?」

が入り口の本。築10年の賃貸アパートに住む私が本のタイトルを見た率直な感想。だってそうですよね。14畳程度のLDKを16畳用エアコンで暖めたり冷やしたりしている我が家を想像したら、エアコン1台で家を心地よくするなんて違和感なわけで。その疑問に対する答えが準備されているんだろうと思いながら本を開いた。

各ページにお題があり、お題への回答を文字と絵とグラフでこまめに答えていく構成になっていて、読みやすい。各ページのお題も「そうそう」と共感できたり「そうなの?」と興味をひかれる内容が揃っていて次から次へと読み進むモチベーションが維持できる。本当に読みやすい。イラストもいい感じ。ただ、読み進めるとあることに気づく。答えてない。丁寧に対策方法や考え方を説明してくれているし、参照している情報も正しいし、まとまっている情報も間違っていない。しかし、答えていない。

なんとなく家を建てようかなーと思っている私が、何を求めて本を読んだかといえば、私がどうすべきか?私に何ができるのか?を得ること。各ページのお題に対して「答え」みたいな「結論めいたもの」が提示されていれば、そうかそうなんだと腹に落としながら読めたはず。読了して残ったのは、じゃあ私は何をすればいいのだろうか?という取り残された感。この本を読んで何をすればよいのか、分からなかった。

本自体の読みやすさ、タイトルのキャッチーさから想像するに、対象とする読者は「今から家づくりをしようとしている建築シロート」だと思われる。なるほど内容も思惑から大きくハズレていない印象だ。だが、「今から家づくりをしようとしている建築シロート」が何を求めるかといえば、考えたり判断したりするための材料ではなく、答えだと考えている。なにをしたらいいの?を解消して欲しい。その点で、この本を読むべき人は「建築シロート」ではなく「実際に家を建てる仕事をしているヒトビト」ではないだろうかと思い至る。

似たような本をいくつか読んで感じるのが、住宅の世界には、自称専門家、他称専門家、多少専門家みたいなのが氾濫しているということ。各自手持ちの情報には差があるだろうし、同じ情報に対しての理解度もまちまちだろうと思うが、その中で学ぼうと思い立った人には最適な本。素人向けにこうであると言い切る本ではなく、玄人向けに、こんな情報を元にこう考えるんですよ、を伝える、優れた参考書。